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東京高等裁判所 昭和61年(う)722号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人土居千之价提出の控訴趣意書及び同補充書に、これに対する答弁は、検察官須田滋郎提出の答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、(一)刑法二〇七条の適用があるのは、「傷害ノ軽重ヲ知ルコト能ハス」又は、「其傷害ヲ生セシメタル者ヲ知ルコト能ハサル」ときであって、何人の暴行によって当該傷害が生じたかが証明された場合は勿論、当該傷害が数人の暴行者のうち特定人の暴行によるものでないことが積極的に証明された場合にも、その者に対し、同条の適用がないと解すべきであるところ、原判決の認定した事実によると、被害者Aに加えられた多数の傷害のうち、被告人は、Aの顔面を強打する暴行を加え、その結果同人の顔面に傷害を与えたものであり、右顔面傷害は、被告人以外の者の暴行によるものではないこと、また、被告人は顔面以外に暴行を加えていないので、その他の傷害は発生させていないのであるから、同法二〇七条にいう「傷害ノ軽重ヲ知ルコト能ハス」という要件にも、また「其傷害ヲ生セシメタル者ヲ知ルコト能ハサルトキ」の要件にも該当しないのに、原判決は同法条の解釈を誤り、同法条を適用した違法がある、(二)刑法二〇七条は、傷害の結果が現に生じているのに、何人についてもその責任を問い得ないという立証上の困難から生ずる不都合を除去するための実際上の必要性から設けられたと解しても、被告人がAの顔面、特に左右の目付近を手拳で殴打した事実と、その結果である顔面膨張の傷害を生ぜしめた事実は立証可能であり、その範囲で被告人の責任を問うべきであるのに、原判決は、Aの死因が二次性外傷性ショックによるものであると認定しながら、同人の「致死」の結果が被告人の暴行によるものか、Y、Zの暴行によるものか、提出された証拠によっては心証形成ができなかったため、被告人に刑法二〇七条を適用し、因果関係の存在自体の推定若しくは擬制をしたうえ、同法二〇五条を適用したものであるが、同法二〇七条は因果関係の推定や擬制を規定したものではなく、当該傷害の原因者不明の場合の規定であって、原判決は同条及び同法二〇五条の解釈を誤ったものである、(三)原判決は、(イ)Aが読経室に収容されていた六月二一日ころから二九日ころまでの間に、室を異にするが、いずれにせよ読経室で同人に対し長時間隔たりなく暴行が加えられたものであること、(ロ)被告人もAがY、Zから暴行を受けたこと、また、引き続き暴行を受けるであろうことを認識し得たものであり、Y、ZはAが被告人から暴行を受けたことを認識していたのであることを根拠として、同一場所において、同一客体に相接近して暴行を加え、人を傷害したものというべきであって、その立場や動機が異ることをもって左右されるものではないとし、同法二〇七条の要件である同一場所において、同一客体に相接近して暴行を加えたと認定したのは事実誤認である、そして右(一)及び(二)の法令の解釈、適用の誤り並びに(三)の事実誤認は、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

ところで、被告人に対する本件公訴事実(主位的訴因)は、「Y、Zは、富士市大渕《番地省略》「私立特別養護院甲野庵」(代表者B)のいわゆる庵生兼看護人であり、被告人は、同庵生であるが、同庵生のA(当二六年)が同庵の読経室内で大声をあげたり、建物の一部を損壊するなどしたことに立腹し、

一  Y、Zは共謀の上、昭和六〇年六月二一日ころから同月二九日ころまでの間、右甲野庵二号及び三号読経室において、前後多数回にわたり、右Aに対し、こもごも、その身体を手拳及びゴム製の棒(直径約二センチメートル、長さ約四〇センチメートル)で強打、足蹴りし、さらに同人をうつぶせにして布ひもで同人の両手足を緊縛し、口に猿ぐつわをかませて長時間放置する等の暴行を加え、

二  被告人は、同月二五日ころ、右甲野庵四号読経室において、

右Aに対し、手拳でその顔面を多数回強打する暴行を加え、よって、同人に顔面、両肩部、胸腹部、両上下肢等全身にわたる強度の皮下出血を伴う打撲症等の傷害を負わせ、右傷害等により、同月三〇日午前零時ころから同日午前六時ころまでの間に右甲野庵において、同人を外傷性ショックにより死亡させたものであるが、被告人らのいずれの暴行により右傷害致死の結果を生ぜしめたものかを知ることができないものである。」というものであり、原判決は、右公訴事実とほぼ同一の事実を認定し、刑法二〇七条、二〇五条一項を適用し、被告人を傷害致死罪で問擬している。

しかし、所論に鑑み、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をも併せ検討すると原判決には法令適用の前提となる事実について、以下に述べるとおり重大な誤認がある。

(一)  Aに対する暴行について

原判決の挙示する関係各証拠によると、以下の事実が認められる。

(1)  B及びその妻C子が開設した私立特別養護院甲野庵(以下、甲野庵という)は、非行者、軽度の精神障害者、借金苦等からの逃避者などの入庵希望者を収容し、入庵者の中から数名を「看護人」に任命し、入庵者の逃走防止のための監視や、庵内の秩序維持その他精神障害者の身の回りの世話等に従事させていた。しかし、格別の指導、教育も受けていない看護人らは、庵内の秩序に違反したり、指示に従わない入庵者や、精神障害等のため共同生活にそぐわない行動にでる入庵者に対して、制裁の手段として、しばしば殴打、足蹴りあるいは布製紐による緊縛等の暴行を加えていた。一方、同庵では、規律に違反した者、脱走を企てた者のみならず、精神障害のため共同生活にそぐわない行動にでた者を、懲戒のため拘束収容する「読経室」と称する部屋を八室設け、これらの部屋は、室内に便器が一つあるだけで外部から施錠され、特に四号室は窓もなく、厳重に隔離された部屋であった。

(2)  本件被害者Aは、昭和五九年五月甲野庵に入庵したが、生来のてんかん性性格異常の病痾のため、共同生活になじめ格、異常行動が多く、懲戒のために拘束収容する読経室にしばしば収容され、制裁を受けていた。

(3)  原審相被告人Y及び同Zは、いずれも甲野庵の庵生で、昭和五九年一二月ころ両名とも同庵の看護人に任命されていたものである。

(4)  被告人は、昭和五九年五月ころ焼身自殺を図ったりしたことから、その更生、立ち直りを期待し、同月甲野庵に入庵したが、同六〇年六月一一日同庵を脱走し、間もなく連れ戻されて読経室に収容されていたもので、同月一五日から本件犯行当時まで四号読経室に入れられていた。

(5)  Y及びZは、読経室に収容されているAが指示に従わなかったり、騒いだ場合には、その抑制・制裁として同人に対し単独又は共同して暴行を加えることで暗黙の意思を通じ、(イ)同年六月二一日午後六時ころ、同庵三号読経室に収容されていたAが、「外に出してくれ、頭が変になってしまう」などと騒ぐため、同人に対し、Zが直径約二センチメートル、長さ約四〇センチメートルのゴム製の棒でAの肩や背部、大腿部を多数回強打し、Yは、Aの大腿部付近を数回足蹴りし、平手で同人の顔面を殴打し、更に同人が騒ぎ続けるので、Zが、布製の紐でAの手首を格子に縛りつけ、他の布製の紐で両足首を縛り、右同様、ゴム製棒で同人の肩部、大腿部を殴打し、あるいはYが足蹴りするなどの暴行を加えた。(ロ)同月二三日午前一〇時三〇分ころ、Zは、Aが同室の庵生のパンを盗んで食べたのを知り、同人の顔面左右を平手で数回殴打した。(ハ)同月二四日、同室において、Aは同室していた庵生Hと喧嘩し、歯の辺りから少し血を出していたが、顔が腫れたり、跡がついたりする程のものではなかった。

(6)  被告人は、同庵四号読経室に収容されていたが、同月二五日午前一一時三〇分ころ、部屋の天井を壊したり、喧騒な行為を止めないため三号室から四号室に移されてきたAが、被告人に食事を分けてくれるように執拗にねだり、便器代用の一斗缶の中に手を入れて大便を食べるかのような素振をしたため立腹し、同室において、同人の顔面を左手拳で目の辺りを狙って二、三回強打し、一時同人は静かになったものの、しばらくするとまたも、「飯食えんかったら死んだほうがいい。」「首を締めて。」などと騒いだため、更に憤激し、同人の左右の目付近を狙って約一〇回手拳で強打するなどの暴行を加えた。そのためAの顔面は腫れ上がり、目の周りが茶褐色に黒ずんでいた。

(7)  Aは、翌二六日午前九時ころ二号読経室に移され、その後しばらく静かにしていたが、(イ)同月二七日、「Yさん」と呼んで騒ぐので、YはAを静まらせるため、同人の腹部、大腿部辺りを二、三回ほど強く足蹴りし、(ロ)同月二八日午前九時ころ、Aが同室内の桟を剥したので、Zがその桟でAの肩や大腿部を五、六回殴打し、更に、同日午後五時三〇分ころ、Aが騒ぎだしたので、YがAの大腿部から腰にかけて三回くらい足蹴りし、Zが、前記ゴム製棒でAの肩、背中、大腿部辺りを殴打する暴行を加え、Aが「背中が痛いから薬を付けて下さい」と言ったが、懲らしめのため、傷部に塩を塗った。(ハ)Aは同月二九日午後二時ころ二号読経室から三号読経室に移されたが、三号読経室でも、トイレットペーパー、木片、経本等を千切って食べたり、便器の小便を飲み、あるいは、首にタオルを巻きつけて首を絞めてくれと騒ぐなどの奇行が目立つため、同室のDが、Aの大腿部を足蹴りし、右手肘でAの顎辺りを肘打ちするなどの暴行を加え、そのうち、Aはシャツを窓の格子に結び首をその中に突っ込んでぶらさがり、自殺しようとしたが、Zは、「そんなに死にたければ殺してやろうか」と言いながらAの頭部や身体を平手で数回殴打し、Yは、いきなりAを前倒しに引き倒すなどの暴行を加えた。

(8)  同日午後一〇時ころ、同室において、庵生のEは、就寝しているのにAに起こされたのに立腹し、素足で同人の股あたりを蹴り付けて同室の壁にその後頭部を打ち付ける暴行を加えた。この音を聞いて同室に駆け付けたY及びZは、Aに睡眠薬を飲ませたうえ縛っておくほかはないと考え、Aに睡眠薬カイスミンを飲ませ、同人をうつ伏せにして布製の紐で同人の両手を後手にして、また両足をそろえてそれぞれ緊縛し、口に猿ぐつわをかませ、その上に蒲団を被せて長時間放置するなどの暴行を加えた。

翌三〇日午前六時五〇分ころ、YがAの状況を見に同室に入って行ったところ、Aは、前記のとおり緊縛されたまま蒲団を被せられた状態で、口から少量の血を出し、死亡しているのを発見し、直ちに同人をZ山病院に運んだ。

(二)  Aの受傷の部位、程度

医師F作成の鑑定書によると、Aの身体に

①左右の各眼裂を中心に左右六センチメートル、上下四センチメートルの強い暗紫色の皮下出血斑があり、両眼ともに眼下が腫張のためやや膨隆している、左右眼球結膜内出血のため全体に暗紫色、左右の上下眼瞼はいずれも結膜が全体に暗赤紫色で、左眼瞼には結膜下出血がある(以下、これらを総称して両眼窩部の損傷という)。

②(イ)右外耳介はその下二分の一の耳朶を除き大部分が皮下出血のため腫脹肥厚している(表皮に損傷はなく、手拳、足裏等による打撃又は畳等によるすりつけなど考えられる)。(ロ)前額部に約一〇個の方向不定の長さ五ミリメートルないし一・五センチメートルの表皮の小挫創(右小挫創は浅在性であり、鈍体による打撃とは思われず、壁等への衝突打撃によると思われる)があり、いずれも周囲に皮下出血斑がある。(ハ)左前額部に左右七センチメートル、上下五センチメートルの中程度の皮下出血斑がある。(ニ)上口唇粘膜は薄い暗紫色で、上下一センチメートル幅二ミリメートルの粘膜挫創がある。(ホ)鼻孔よりやや血性の鼻汁があり、打撲による鼻粘膜の出血を思わせる。

③右肩関節、肩峰部に前後一〇センチメートル、上下五センチメートルの陳旧性の薄い暗赤紫色皮下出血斑が、また左肩峰部には左右七センチメートル、前後七センチメートルのやや陳旧性の薄い茶褐色皮下出血斑がある(いずれも受傷後五ないし一〇日経過していると思われる)。右腋窩前縁部に上下一六センチメートル、幅三・五センチメートルに点状の無数の皮下出血点群がある。右鎖骨中央部から左鎖骨全体、更に胸骨上端より下方一〇センチメートルに至る範囲に陳旧性皮下出血斑がある。左上腕中央より右肘、右前腕中央に至る右上肢の外側面に上下二七センチメートル、幅七センチメートルの中等度の暗赤紫色皮下出血斑がある。右側腹部に前後及び上下一〇センチメートルの暗赤紫色皮下出血斑がある。右大腿前面の上半分に上下一八センチメートル、左右三センチメートルの暗赤紫色皮下出血斑がある。左大腿部前面には上下二四センチメートル、幅一九センチメートルの暗赤色皮下出血斑がある。左肘、左前腕には一四センチメートル、幅九センチメートルの暗赤紫色皮下出血斑がある。

④その他、紐等で緊縛されたとき生じたと思われる損傷が、左右外耳下端、前頸部、左右手背部、腕関節部、大腿部及びそけい部等に見られる。しかし、頭蓋底骨折、脳損傷等は認められない。

(三)  Aの死因

(1)  F鑑定(医師F作成の鑑定書並びに証人Fの原審及び当審における供述、同人の検察官に対する供述調書)は、被害者Aの死因を、同人の頭部、頸部を含む躯幹、上下肢に多数の外傷があり、個々の外傷では十分な死因となり得ないが、受傷部の深部の皮下組織や筋内に広範、かつ、著名な出血、組織の挫滅があり、そのため組織の新陳代謝が不全をきたし、体成分の異常な代謝分解産物を生じ、これが吸収され、一種の自家中毒症を起こし死亡する(二次性)外傷性ショック死であるとしている。そして、同鑑定は、他の死因の可能性については、顔面、頭部の広範、かつ、著明な皮下出血及び腫脹は頭蓋内においては直接死因になるような損傷はなく、また、頸部への外傷は右頸部乳様筋内の広範な出血、周囲組織内への出血、気管内の白色泡沫、声門部の溢血点、両肺の無数の溢血点の存在及び心臓の溢血点がそれぞれ認められ、窒息死に類以し、これが頸部圧迫又は猿ぐつわ等による窒息に近い状況下にあったことを思わせるが、その心臓内血液が約一五〇CCの凝血を含有することから十分な窒息死とは認められないとしている。

ところで、F鑑定は、(二次性)外傷性ショック死と判断した根拠として

①一つ一つの損傷が直接死因として結びつくものはないこと、

②多数の損傷が存在し、しかも、損傷の存在する部位の皮下や筋肉内には挫滅や出血が存し、これが十分な外傷性ショク死の根拠となり得ること、

③腎臓の病理検査をしていないが、肺には溢血点が多数存在していることから、重篤な肺浮腫が存在していたと見られること、

④尿を排泄できない尿閉の状態にあったこと、

以上の点を挙げている。

しかし、G鑑定(鑑定人G作成の鑑定書並びに証人Gの当公判廷における供述)によると、F鑑定がAの死因を外傷性ショック死とした鑑定については、以下に述べるとおりその剖検における病理検査の重要性についての認識を欠き、剖検所見の把握の不備が認められる。すなわち、

外傷性ショック死による死亡の場合、程度の差はあれ、抹消循環不全が主体となっているわけであるから、全身臓器に浮腫が生じ、特に高度の肺浮腫が認められ、更に、腎臓にみられるショック腎、肝臓の鬱血、胃腸管粘膜の出血及びびらん、粘膜や漿膜の点状出血の出現、心臓血の流動性がみられるのである。ところが、F鑑定は、前記②のとおり、皮下出血や筋肉挫滅が多いことからショックを認めているが、その逆が把握されていない。すなわち、皮下出血や筋肉の所見とは別に臓器に前述のショック所見が存在しているかどうかを把握しなければならない。前記③についても、溢血点の出現は、肺実質とは無関係であり、肋膜部の点状出血から肺浮腫を傍証することはできない。もっとも、本屍では気管内の白色泡沫の充満から肺浮腫が推定される。前記④についても、Aの死体の剖検の結果膀胱に尿が充満し、その量が一〇五〇CCに及んでいることが認められるが、この尿閉が外傷性ショック死の特徴であるとする見解は極めて少数であって、しかも無尿と尿欠とを混同した結果であると考えられ、尿閉を外傷性ショック死の所見とすることはできないのである。

しかして、剖検記録によると、外傷性ショック死の所見である粘膜や漿膜の点状出血、肺浮腫、全身臓器の鬱血は存在しているが、心臓血の流動性は存在しないほか、特に重要なショック腎の有無について、F鑑定は検査を欠いており、同鑑定では、腎臓については異常を認めなかったため、検査の必要がなかったとしていることからすると、むしろショック腎の存在は否定されることになる。

更に、G鑑定によると、外傷性ショック死の場合は、臨床的に、体温低下、冷汗、血圧低下、無尿が挙げられ、前三者はAが生前医師の診察を受けていないので庵生の供述から推察するほかはないが、無尿の点については、(イ)むしろAの死体膀胱内において一〇五〇CCの尿が確認されていること、同人は二九日午後六時過ころ尿意を催しながら排尿できないことを訴えていた事実、更に同人の死亡時刻は三〇日午前零時から同日午前六時ころまでの間と推定されるが、特に死体硬直と直腸内温度の降下度を総合考案すると、むしろ三〇日午前零時ころと推定することができることからすると、Aが尿意を訴えていた(個人差はあるが、一般には三〇〇ないし五〇〇CCの尿が膀胱内に溜ると尿意が発生するとされている)二九日午後六時ころ以降にも尿が生産されていたことを示している。(ロ)また、F鑑定によると剖検時尿が透明(外傷性ショック時の尿は褐色様の色調がある)であって、腎臓に異状を認めず、その検査を必要としなかったとしていることが認められる。してみると、右の尿量及び尿の状況から、少なくともAは死亡時無尿であったこと、ひいては、腎不全が存在していたことはほぼ否定されるというべきである。

(2)  次に、Aの死因として、遷延性窒息死の可能性について考察する。

F鑑定は、①鼻口閉塞が完全でないこと、②心血が凝血していること、③尿が膀胱内に大量存在し、失禁がないことから、窒息死を否定している。しかし、G鑑定によると、Aは両上肢を後ろ手にして、また両下肢はそろえてそれぞれ緊縛され、強く猿ぐつわをはめて、うつ伏せの状態で寝かされ、その上から蒲団を掛けられた状態にあったのであるから、たとい鼻口の閉塞が完全でないとしても、極めて呼吸困難な状況にあることは否定できず、更に、両上肢を後ろ手に縛られていることから、胸廓運動による呼吸が阻害されており、蒲団による密閉された状態においては、重篤な呼吸困難を引き起こしてもおかしくない状況にあったこと、しかも、この様な遷延性室息死では、心臓血が凝血している例はしばしば見受けられること、失禁がなかったことは、Aには死亡前すでに大量の尿が膀胱内に存在し、死亡に接着した時期の精神の不安定からくる膀胱の生理解剖学的特徴によって尿閉が起っていて、随意的にも、不随意的にも排尿(失禁)が起こらない状態にあったこと、かえって、遷延性窒息の場合にみられる全身の鬱血、溢血の存在、気管内に泡沫を充満するような肺浮腫がみられることからすると、Aの死亡時の現場の状況等と併せ考えると、外傷性ショックによる死亡ではなく、遷延性窒息を死因とすることが矛盾なく説明できる。

(3)  結局、Aの全身に鈍体の作用によって生じた皮下出血や挫滅が多数認められるが、F鑑定では、外傷性ショック死についての臨床所見並びに剖検所見が十分検討されておらず、特に急性腎不全のような外傷性ショック死に不可欠な変化が剖検並びに臨床的に存在していると認めることができないから、これを死因とすることはできない。一方、遷延性窒息死とする場合、剖検所見並びに現場の状況と矛盾なく説明できることから、Aの死因は、遷延性窒息と判定するのが相当である。

(四)  以上の認定の事実によると、被告人のAに対する傷害は、被告人が昭和六〇年六月二五日四号読経室において、Aに対し手拳で同人の顔面両目付近を数回殴打した暴行により生じた同人の両眼窩部の打撲傷のみであること、Aのその余の傷害については、被告人は全く関与していないことは明らかであり、またAの死因は、前述のように遷延性窒息死と認めるのが相当であるところ、Aの窒息は、Y及びZが同月二九日午後一〇時ころ、前記三号読経室において、布製の紐でAの両手を後ろ手にして、また両足もそろえてそれぞれ緊縛し、同人をうつ伏せにしたうえ、口に猿ぐつわをかませ、その上に蒲団を被せ長時間放置した暴行によって惹起されたもので、被告人の右暴行との間には何らの因果関係も認められない。してみると、被告人の本件所為に対して、刑法二〇七条を適用すべき場合ではなく、更に、同法二〇五条一項に該当する余地もない。

ところが、原判決が、被告人並びにY及びZの暴行によって、Aに対し顔面、両肩部、胸腹部、上下肢等全身にわたる多数の強度の皮下出血を伴う打撲傷等の傷害を負わせ、右傷害等によって同人を外傷性ショックにより死亡させたが、被告人、Y及びZのいずれの暴行により右傷害致死の結果を生ぜしめたものか知ることができないとして、被告人の所為に対し同法二〇七条、二〇五条一項を適用して、同時傷害に基づく傷害致死の責任を認めたのは、事実を誤認し、法令の適用を誤ったものであり、これらの誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由がある。

よって、その余の所論についての判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄することとし、当審において追加された傷害の予備的訴因について、その審理が尽されているので、同法四〇〇条但書により直ちに被告事件について判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、静岡県富士市大渕《番地省略》所在私立特別養護院甲野庵に入庵していたものであるが、昭和六〇年六月一一日同庵を脱走したものの、すぐに連れ戻され、同月一五日からは、同庵四号読経室に収容されていたところ、同月二五日、同室において、同室に収容され食事抜きの制裁を受けていたA(当時二六歳)が被告人に食事を分けてくれるように執拗にねだったり、便器代用の一斗缶の中に手を入れて大便を食べるかのようなそぶりをしたため立腹し、同日午前一一時三〇分ころ、右Aの顔面眼窩部を左手拳で二、三回強打し、同人はそのため一時静かになったものの、しばらくすると、またも「飯食えんかったら死んだほうがいい。」「首を締めて。」などと騒いだため、更に憤激し、右Aの左右の目付近を狙って手拳で約一〇回強打する暴行を加え、よって、同人に対し加療一か月間を要する両眼窩部に強度の皮下出血及び腫脹を伴う打撲傷を負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、これを全部被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

検察官 須田滋郎 公判出席

(裁判長裁判官 石丸俊彦 裁判官 新矢悦二 日比幹夫)

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